ぼちぼちと行きまひょか
あわてたら あきまへんでぇ。「せいては事を仕損じる」って昔の人がいうてはりまっせ。ほやさかい、ぼちぼち歩いて、の~んびりと人生を楽しみまひょ。
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十一月十四日(晴れ) 出発直前に家内が、数珠が無いと云いだした。昨日、熊谷寺の大師堂にお参りした時はあったのだから、それから落としたのだろう。僕が寺まで探しに戻り、家内は先に行くことにした。 昨夜は冷えたはずだ、外は真っ白に霜が降りている。見覚えのある大きな山門をくぐって寺に着いた。今朝も、高い所からご詠歌が聞こえる。念のために納経所に立ち寄って訊ねたが、知らないという。探しながら一番奥の大師堂まで行ったが落ちていない。 仕方がないと諦めかけて、帰りかかったが途中で小用がしたくなったので、便所に立ち寄ったら「あった、あった」便所の入り口の釘に、数珠がかけられていた。有り難い、あのまま帰ったら見つからなかったのに、おしっこがしたくなったお陰だ。これもお大師さんのお陰なんだろうか? 「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」そして「南無おしっこ大明神」満ち足りた気分で、法輪寺へ向かう道で俳句(のようなもの)が出来た。 霜の朝ご詠歌今日も熊谷寺 秋遍路お数珠落として戻る寺 九番・法輪寺で、お参りを終えた家内に追いついた。まだ、早朝なので家内のほかには誰もいない。ここのご本尊は四国霊場八十八ヶ所の中で唯一の涅槃釈迦如来だそうだ。お寺の雰囲気は田んぼに囲まれた素朴で静かなお寺との印象だった。 十番・切幡寺へは田んぼの中の道を行く。このあたりの家はどこも縁側の軒が深い。縁の外に一間ぐらい軒が出ている。どうしてだろう?歩きながら考えたが分らない。しばらくしたら、切幡寺の案内板があり、右の方に矢印があった。 ゆるやかな坂道を登って行くと、遍路用品も売っているお土産店や、民宿、食堂などがあり、ちょっとした門前町の感じだ。ここから家が途切れて山道になった。 境内の奥には、この寺の伝説にまつわる美しい観音像が建てられていた。弘仁のころ、弘法大師が、山麓の一軒家を訊ねると、その家にはハタを織っている若い娘がいた。手甲や脚半が破れたため布を求めた大師に、娘は織っている途中の布を惜しげもなく切って差し上げた。 大師がお礼に「何か望みはないか」と聞くと、娘は亡き父母のために観音様を彫って下さいと頼んだ。大師は一夜で千手観音を刻むと、娘を得度させ灌頂を授けた。そうしたら、娘は即身成仏して千手観音に変身したという。 そこで弘法大師は千手観音を本尊として切幡寺を開創して、山号を得度山とした。娘が変身した観音様は、秘仏として一般には公開されていないそうだ。 これを読んで、「仏像に変身されてしまった娘さんが可愛そうだ。 本人が希望したのかどうか知らないが、それはあんまりだ…」と、我々二人の意見が一致した。二人とも、信仰心がないのか、修行が足りないのか?そう思った。 それはともかくとして、ここは女性に人気があるとかでお参りする人が多いそうだ。納経所に行くと、八十歳近い、住職の奥さんらしい人が、「歩きですか?」と聞くので「そうです」と答えると、「ちょっと待って下さい」と奥へ引っ込んだ。すぐに出てこられて、「お接待です」とお赤飯と大福餅の入った包みを二人分下さった。 本堂の横を数段、上がった所に大きく立派な多宝塔がある。豊臣秀頼が大阪の住吉神社に寄進したものを、明治の初期にこちらに移築したとかで、建築学的には貴重なものだそうだ。 そんなむつかしいことより、ここからの眺めがすばらしい。眼下に吉野川の雄大な流れの中に、広い中之島が見え、その向こうには遍路の難所「へんろ転がし」の山が望める。 右の方には、五年前に登ったことのある、高越山が格好よくとがって見える。早速、お接待の赤飯を頂くことにした。お天気はいいし、きつい石段を登った後で、この景色を見ながら食べるのだから、美味しくないはずがない。 いつ迄もゆっくりしていたいが、遍路は先を急ぐ。山を降りて、集落の中の曲がりくねった道を通る。上から見たらすぐそこに見えた吉野川が歩くと遠い。やっと堤防が見えてきた。 沈下橋を渡り竹やぶを抜けると、農地が広がる。中の島だ。川の中にこんな広い農地が…と驚き、洪水の時はどうするの?と考える。横切るのに、三十分以上かかった。次の沈下橋は長くて自動車が頻繁に通る。車をよける場所はいくつも作られているが、欄干がないので川に落ちそうで怖い。 やっと川を渡り、川島の町で家内を先に行かせて、お金を下ろすために銀行に立ち寄った。この先は道がややこしいので、気になり急いで後を追いかけたら、後姿がちらっと見えた。安心してコンビにで、お握りなど、明日のお弁当を買って出てきたら、家内の姿がもう見えない。 また、必死で後を追う。一時間も追っかけたのにおかしいなあ…?と思っていたら、十一番の藤井寺に着いた。家内の姿は見えない。やはり道を間違ったのかなあ。心配で落ち着かないまま、とにかくお参りをすませた。先に行かせなければよかったと後悔する。 いらいらしながら待っていると、やっと細い遍路道を降りてくる姿が見え、ほっとした。家内のご機嫌は当然良くない。もう一度、僕も一緒にお参りをした。夜、落ちついてから話を聞くと、ずい分遠回りをしたようだ。「どんなお寺だったのかよく憶えていない」とこの寺の印象を家内は家に帰ってから云っていた。 今夜の宿「ふじや旅館」はお寺のすぐ前だ。玄関の前で、金剛杖を洗った。四国遍路において、金剛杖は「弘法大師の化身」としての役割を持つとされている。金剛杖を持って巡拝することは、弘法大師とともに歩くこことであり、そのことを「同行二人」と呼んでいる。 だから遍路は、この杖を大切に取り扱う。宿に着いたら、真っ先に杖を洗い、床の間など上座に置くことになっている。だから「お杖さん」とも呼ぶ。 案内された、廊下の突き当たりの部屋は十二畳もあり、二方は庭に面して縁側がある。立派な床の間と違い棚もあり、鴨居や長押(なげし)の材料もよく、落ち着いた部屋だ。続き部屋にできるのか、もう一方はふすまで仕切られている。 床の間にお杖さんを休ませ、荷物を縁側に置いた。部屋の中央のコタツに入り、用意されていたお茶をいれる。ストーブも点いている部屋に落ち着き、先ずはやれやれだ。 しばらくして、案内をする声と共に足音がして、隣の部屋にお客さんが着いた様子だ。と、思っていたら、いきなり仕切りのふすまがパッと開いて若い女性が顔を出した。アッと声をあげ「失礼しましたと」あわてて閉めたがびっくりした。押し入れか何かと間違ったのだろうが、むこうも本当に驚いた様子だった。 お風呂に入り、洗濯をした。歩き遍路にとって洗濯は重要な日課であり、どこの宿も洗濯機を使わせてくれる。乾燥機のある宿が多いが、ここにはない。今夜も冷えるので、外では乾かないだろう。こんな時は、部屋に干すにかぎると、部屋に持ってきたが、ハンガーを掛けるとこがない。 ふと、思いついて金剛杖を部屋の隅の長押(なげし)に渡してみた。これはいい、うまい具合にハンガーが掛けられた。お大師さんをこんなことに使っていいのだろうか?ちょっと気がひけたが、困っている人をいつも助けたお大師さんのことだから、許してくれるだろう。いや、それよりお大師さん自身が、自分の身体を使って助けてくれたと思えばいい、など都合のいいことを考えた。 六時から食事だ。食堂は、畳の部屋にテーブルが置いてあり、それを囲んでみんないっしょに食べる。全部で九人、歩き遍路の人がほとんどのようだ。 僕の左には、二回目の遍路だという若い男性。右側は家内に続いて、年寄りの男性に、若い女性。向かい側は、僕の前が五十五歳という髭を伸ばした男性(おひげさん)で、その左にまだ三十代に見える「おひげさん」の奥さん。 おひげさんの右は、髪の長い若い女性で、なかなかの美人。この人がさっき、ふすまを開け顔を見せた「お隣りさん」だ。その右は坊主頭だが、男前の若者だ。 歩き遍路にとって、この夕食の時が一番楽しい。ビールなど飲みながら、みんな楽しそうに話す。その日の出来事や、しんどかったことなど、共通の話題には事欠かない。宿の話など、貴重な情報交換の場でもある。 おひげさんは話好きで、話題も豊富だ。若い奥さんはだまって聞いている。おひげさんから「なべいわ荘」の話が出た。 「この次の焼山寺から降りた鍋岩の集落に、住友産業の『なべいわ荘』という保養所があり、ここが最近遍路を泊めている。先日泊まったがよかった、風呂も大きかった」と話す。 おかみさんが、「そうですよ、遍路さんに宣伝してくれと頼まれている」とチラシを持ってきた。それをもらって、いいことを聞いたとみんな喜んだ。 明日歩く、焼山寺への道は山越えで距離も長く、昔から《遍路ころがし》と恐れられていて、遍路一年生にとっては最初の難関である。今日のお昼に寄った、うどん店の主人も「あそこは止めとけ、悪いことは云わん。電車で府中(こう)まで行って逆打ちしなさい」と我々を見て、かなりしつっこく薦めていた。 山を越え、焼山寺に着いても、そこから宿までがまだ遠い。焼山寺には宿坊もあるが、春から夏場だけ開けていて、今は泊まれない。それで、鍋岩で泊れたら助かるのだ。ここにいる大半の人が、なべいわ荘に泊りそうな雰囲気になった。 僕は山道は歩きなれていて足にも自信があるし、予定している温泉にも魅力があるので、さてどうしようか?
by nijyouzannokotori
| 2005-08-04 13:03
| 遍路日記
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