6月の初めに千早赤坂村に写真を撮りに行った。お目当ては棚田の赤い夕日だったが、その日は雲が多く夕日はまったく駄目だった。
しかし、階段状になった細長い棚田の1枚1枚を見ていたら、棚田の「畔(あぜ)」に田植えの準備をした人の丹精が見えた。
<参考までに>
「畔(あぜ)」というのは、田の水が流れ落ちないように、田の端に土を盛り上げた所で、「くろ」という言い方もする。漢字は「あぜ」と「くろ」のどちらも、「畔」と「畦」の二つがある。
ちなみに、我が故郷の九州では、普通は「あぜ」と呼んでいたが、あぜの草を刈ることを「くろ切り」と言っていたので、「あぜ」と「くろ」の二つの言葉は地域による違いではないようだ。ひょっとしたら、昔は「あぜ」と「くろ」それぞれに、何か違う意味があって、この二つを使い分けていたのではなかろうか?
さて、これが、その丹精を感じる美しい棚田だと畔だ。
植えられたばかりの早苗と、緑の畔との間に見える黒い土に僕は丹精を感じたのだ。これは「畔塗り」と言って、モグラなどが畔に開けた穴から、田の水が漏れるのを防ぐ為に、田の土を鍬で塗りつける作業をした汗の結晶だ。
広い田圃だったら、一筋だけ畔塗りをすればいいが、こんな細い棚田では幾筋も幾筋も畔があるのに実に丁寧に塗っている。
最近はこの畔塗りをせず、ビニールシートや波板で水漏れを防いでいる田圃を見かけることが多いのに、この美しい棚田は、昔ながらの畔塗りをしている。労をいとわず行った畔塗りに、この棚田の持ち主の勤勉さが伺われ、丹精込めた米作りを見る思いがした。
そして、もう一つは6月の下旬に撮影に行った茶畑で丹精を感じた。次の写真がその時の写真だが、こちらも条件の良くない茶畑だ。
かなりの急斜面を切り開いて茶畑にしているので、作業はし難いだろうが、見るのには美しい。
門外漢の僕が見ても、こんな急斜面を茶畑にするまでの苦労は解る。ここでも労を惜しまず続けた長年の成果がこの美しい茶畑となったのだろう。